Architecture

ずらしてつくった快適空間光と風が通る
“窓のない家”

ボリュームをずらしてつくった快適空間  光と風が通る “窓のない家”
文京区の住宅が建て込んだエリアに立つ紀野邸。道路から見ると四角いボリュームが左右にずれながら少しずつせり出した形が周囲から際立つが、さらに目を引くのが壁面に窓がひとつも見当たらないこと。しかし、奥さんから建築家へのリクエストは、光と風が抜ける家にしてほしいということだった。

長い間JALでキャビンアテンダント(CA)の仕事にたずさわり海外での生活も長かった奥さんは、敷地は狭いが海外で体験したような快適な空間をつくりたいと思ったという。中でもタイのリゾート巡りで体験した快適さに近づけたかった。そこで感じた光と風の気持ちの良さが目標だったという。


高い建物に挟まれた紀野邸。道路側にはまったく窓が開けられていない。左のアプローチ部分の塀際にはハーブが植えられている。
高い建物に挟まれた紀野邸。道路側にはまったく窓が開けられていない。左のアプローチ部分の塀際にはハーブが植えられている。
ボリュームが水平にずれた部分につくられたトップライトから光が室内へと導かれる。
ボリュームが水平にずれた部分につくられたトップライトから光が室内へと導かれる。


しかし、コンパクトさだけでなく、北側斜線などから左右の建物より低くしか建てることができず、また視線や騒音の問題もありという具合に、難問を何重にも抱えたような敷地であった。光と風を室内に導くには窓を開けるのが手っ取り早いが、それも容易にはかなわないという状況だったのだ。

建築家の富永さんは、建物に囲まれて暗く地面にほとんど陽が入らない状況に加え、さらに庭もつくってほしいというリクエストもあり、どうするかかなり悩んだという。


3階のダイニングとキッチン。右側の壁面には、手前からエレベーターと食品庫がつくり込まれている。奥さんは右下に見えるガラスの床に空が映るのがとても気に入っている。「空って見上げるものなのに下を覗くと空が見えるんです」。
3階のダイニングとキッチン。右側の壁面には、手前からエレベーターと食品庫がつくり込まれている。奥さんは右下に見えるガラスの床に空が映るのがとても気に入っている。「空って見上げるものなのに下を覗くと空が見えるんです」。

建物のボリュームを水平にずらす

そこで出てきたのが建物のボリュームをスライスしてずらすというアイデアで、ずれたところから光と風を入れるようと考えたという。垂直方向と水平方向とずらす方向を両方シミュレーションした結果、水平にずらした方が圧倒的に内部の空間性が良かったことからその方向で進めることになった。

こうして光と風に関しては目途がついたが、元々デザインが好きで建築にも関心が高く、この家でも簡単な図面を描き現場での週1の打ち合わせにも出席したという奥さんは、さらに、この建築のつくりに大きくかかわるこだわりを富永さんにぶつけたという。


3階の食品庫。テーブルコーディネートの教室を開いているため、使用する食器などが収納できるこの広さが必要だった。
3階の食品庫。テーブルコーディネートの教室を開いているため、使用する食器などが収納できるこの広さが必要だった。
3階のキッチン。料理に使うローズマリーが窓を開けてすぐ摘み取れる。
3階のキッチン。料理に使うローズマリーが窓を開けてすぐ摘み取れる。
3階奥につくられたバルコニー。外に置かれているのはシマトネリコ。
3階奥につくられたバルコニー。外に置かれているのはシマトネリコ。
共同運航乗務時にもらった思い出の一品。アリタリア航空ファーストクラスのチャードジノリ製コーヒーカップ&ソーサー。
共同運航乗務の際にもらった思い出の品。アリタリア航空ファーストクラスのリチャード・ジノリ製コーヒーカップ&ソーサー。
3階からトップライトを見上げる。この光が2、3階のガラス床を通して1階まで落ちる。
3階からトップライトを見上げる。この光が2、3階のガラス床を通して1階まで落ちる。
3階ダイニング近くの壁の扉を開けるとエレベーターが現れる。
3階ダイニング近くの壁の扉を開けるとエレベーターが現れる。


余白をつくる

「余白のような部分を残してほしいとお願いしたんですね。視線が抜けるようにバルコニーもほしい。居住空間は少なくなってもよいので、そういう遊びの部分だけは削らないでくださいと」。さらにまた、プラニング上でも重要なポイントとなったリクエストがあった。「もう1点お願いしたのは、すぐ旅行に行けるように、スーツケースがすぐ取り出せるラインにしてほしいということです」。

ひとつめのリクエストに対しては、バルコニーを2、3階のそれぞれ端部につくった。1階奥に小さいながらも中庭があり、建物ボリュームがずれた部分でも上へと視線が抜けるため視線の抜けはこれで十分確保された。


2階―3階間の階段。
2階―3階間の階段。
2階の細長い寝室には建物のサイドに設けられたトップライトから光が注ぎ込む。
2階の細長い寝室には建物のサイドに設けられたトップライトから光が注ぎ込む。
2階奥に設けられたバルコニーにはシフレラが置かれている。
2階奥に設けられたバルコニーにはシェフレラが置かれている。
2階廊下。上のガラス床を通して見えるのはダイニングチェア。
2階廊下。上のガラス床を通して見えるのはダイニングチェア。


整理された動線

2つめに対しては1階の中心部分にスーツケースも収納できるウォークインクローゼットをつくった。全体スペースがコンパクトなため、他階でもなるべく全体のボリュームの中心にウォークインを設けてその周りに生活空間と動線を配するようにした。そのために2階寝室は奥へと細長い空間になっているが、長さがあるため横幅が少ない割に広さの感じられる空間になった。

動線に関しては建築家と綿密な打ち合わせを重ねたが、これにはCAとしての経験が大きく反映しているようだ。「飛行機はよく出来ていて、あるべきところにものがあって短時間で作業ができる。これは動線がよく整理されてつくられているからなんですね。この家も動線をどうするかについては、富永さんに自分の癖のようなものを見抜いてもらって、かなり考えていただきました」


玄関を開けて正面の空間は奥に向かって自転車などを置くスペースになっている。昼間はトップライトの光のみで十分明るい。
玄関を開けて正面の空間は奥に向かって自転車などを置くスペースになっている。昼間はトップライトの光のみで十分明るい。
1階奥の紀野さんの書斎と寝室。中庭に面したこの部屋は裏の敷地が道路よりも高いため地下につくられている。
1階奥の紀野さんの書斎と寝室。中庭に面したこの部屋は裏の敷地が道路よりも高いため地下につくられている。
道路からみて左側面に設けられた開口からピンクの花が見える。グレーチング床の下はアプローチになっている。
道路からみて左側面に設けられた開口からピンクの花が見える。グレーチング床の下はアプローチになっている。
1階奥の浴室。奥さんのいちばんのリラックス空間という。浴槽は窓の位置に合わせて中央にずらされている。
1階奥の浴室。奥さんのいちばんのリラックス空間という。浴槽は窓の位置に合わせて中央にずらされている。


そのためにキッチンでの作業はとてもスムーズに行えるという。「さあやらなきゃ!という感じはなくて、すーっとキッチンに行って料理でもなんでも気持ちよくできています」。

室内は白の部分が多いため色によるストレスもなければ、隣接した家々も室内からは見えないため気にならない。開口を通しては代わりにお気に入りのグリーンを目にすることができる。光も風もタイで体験したものとは異なるだろうが、こだわり尽くしてつくり上げたこの家の快適さに、奥さんはとても満足しているようであった。


紀野邸
設計 富永哲史建築設計室
所在地 東京都文京区
構造 RC造+木造
規模 3階建て
延床面積 110.68m2