Style of Life
家の中心で炎を愉しむ里山の風景に溶け込む
土壁のある現代の民家
ゴルフ場に隣接した土地に家を建てる
東京都心から車で約1時間。中島健一郎さんが暮らす家が建つのは、カントリークラブ「ブリック&ウッドクラブ」に隣接する「土太郎村」だ。「ブリック&ウッドクラブ」は、会員自らが運営を行うゴルフ場で、「土太郎村」には、会員たちのセカンドハウスが建つ。
中島さんが土太郎村での家づくりを考え始めたのは10年ほど前のこと。新聞記者として米国に勤務していた時にゴルフに親しんだ経験から、日本の接待を中心とするゴルフ文化に違和感を抱いていたという。「そんなときに、土太郎村の住宅プロジェクトの構想を聞き、旗振り役の一人として参加を決意しました」(中島さん)。
ブリック&ウッドクラブのコースの設計は、名匠として知られるデズモンド・ミュアヘッド。「ここでなら、アメリカ的なゴルフが楽しめそうだと思いました」と魅力を語る中島さん。さらに、リタイア後は自然の中で暮らしたいと考えていたことも、住宅プロジェクトへの参画を後押しした。
パイオニアとして、理念をかたちへ
プロジェクトの提唱者として理念を牽引する住まいを建てたいと考えた中島さんは、大学時代の友人に相談。紹介されたのが、友人の弟子にあたる建築家・薩田英男さんだった。薩田さんは「できるだけ自然素材を使った家」「土間のある家」といった中島さんの希望を聞き、それをベースにしたスケッチを描いたという。「それがとても良かったので、薩田さんとの家づくりを決意しました」(中島さん)。
現在は50軒を超える家が建つ土太郎村だが、中島さんが家づくりを決意した時はまだ個人の家は建っていなかった。土地の造成や許認可などに時間がかかり、実際に建て始めるまでに3年ほどかかったという。
その間に、薩田さんは何度も土太郎村に足を運び、構想を深めていった。「できるだけ地元の建材を使った家づくりをしたい」という中島さんの思いを汲み、地元で算出する杉や竹を使えるよう手配を進めた。
壁と一体化した暖炉の温もり
薩田さんが提案したのは、南側の庭を中心に半円形の弧を描くようなプラン。薩田さんは「空間のベースとして、成長級数であるフィボナッチ級数と日本の尺寸法の二つの身体的な寸法を用いまいした」と話す。寝室や客間以外は間仕切りのない大きな一つながりの空間を間仕切るのが、放射状に配された土壁だ。
この土壁は、層状に土を突き固める「版築」と呼ばれる技法を用いており、その表情が空間を味わい深いものにしている。家の中心の版築壁の厚さは1.2メートル。中に竹の支柱を埋め込むことで耐震性をもたせ、躯体としての役割も果たしている。土壁は耐震性が気になるが、試作の段階で実物大のモデルによる振動実験を生産技術研究所の協力のもとで行い、強度を確認した。
さらにこの壁に暖炉を埋め込むことで、家の中心に火がある暮らしを実現させた。「版築壁づくりは左官職人の指揮のもと、ワークショップ形式で何人もの手でつくりあげたものです」(薩田さん)。暖炉で薪を燃やすと、部屋中が温もりに包まれる。「冬はこの暖炉のそばで過ごすのが楽しみです」(中島さん)。
サロンのように人々が集う空間
この家が建って約2年。中島さんは東京のマンションを売却し、この家を本拠地として暮らしている。「住み心地は最高です。ゆっくりと本を読んだり、文章を書いたり、ゴルフをしたり。贅沢な時間を楽しんでいます」(中島さん)。週に1度ほど仕事で東京に出向く際には、パートナーやお子さんの家に泊まるのだそう。
東京から車で1時間ほどとアクセスが良いこともあり、中島邸には多くのゲストが集う。このため、「ゆっくりと過ごしていただくために、ゲストルームを2部屋設けています。お客様と一緒に料理して、食卓を囲んで、泊まってもらって、のんびり過ごしていただいています」。
中島邸では、中島さんの幅広い人脈をいかして、定期的に識者のお話を聞く「ナレッジサロン」や健康づくりの情報を得られる「健康道場」といった会の場にもなっている。「一番多い時で25人が集まりました。この家が、皆さんが集い、交流する場にもなっていければと思っています」。
情報発信基地として
「住まいと同様、食も大切」と考える中島さんは、自ら料理をするだけでなく、素材にもこだわる。「土太郎村に暮らすようになって、房州びわやブルーベリーなど、千葉は産地としてもすぐれていることに気づきました」と話す中島さん。
さらに一歩進み、地産地消を目指して、房州半島の産物を宅配する事業をスタートさせた。「無農薬有機栽培の農園と提携して、野菜や果物の宅配事業を行なっています。現在は21世帯が対象ですが、少しずつ輪を広げていけたらと考えています」。
緑豊かな地での中島さんの豊かな日々は、セカンドライフの新たなモデルとしても注目されている。