Style of Life

32㎡の仮の住まい 狭さが気になったら
増築すればいい

32㎡の仮の住まい 狭さが気になったら 増築すればいい

必要最低限の面積で建てる

「最初の想定ではとりあえずの仮の住まいでした」と話すのは建築家の加藤さん。1000㎡ほどもある広い敷地は不確定な要素が多かったため、敷地のどの場所にどの程度の規模の自邸を建てるかを決めるのが難しかったという。そこで、加藤さんは必要最低限のスペースのある家を、10年間程度住むぐらいのつもりでつくってみたらどうかと考えた。

「面積は約32㎡で、住宅ローンを組みたくなかったので、必要最低限の予算でキャッシュで建てました」。外構や工務店経費なども含めた総工費は約720万だったという。

奥さんの実家の敷地に建てられた加藤邸。隣には祖母の家が立つ。工費を抑えるために天井はサッシと同じ高さに抑えたが、これが床と同レベルのテラスの存在と相まって外との連続性、さらには開放感を創り出している。
奥さんの実家の敷地に建てられた加藤邸。隣には祖母の家が立つ。工費を抑えるために天井はサッシと同じ高さに抑えたが、これが床と同レベルのテラスの存在と相まって外との連続性、さらには開放感を創り出している。

最低寸法からつくる

建てた当時は夫婦と子ども2人の4人家族。まさに必要最低限の広さといっていいが、一般的な家づくりのように、確定している面積から間取りを決めていくのではなく、空間を使うときの最低寸法からつくっていったら32㎡ほどの面積になったということらしい。 

「キッチンはこのように使うからこのくらいの面積でいいよねとか、ダイニングだったらこれくらいだねという具合にきめていきました。そうしてつくっていった結果、32㎡という大きさになったんです」

浴室やトイレ、洗濯スペースなどもぎりぎりの寸法を割り出していった。こうしたことは一般の人にできることではないが、さらにまた建築家ならではの工夫も。「可動の収納棚はすべて奥行き60cmで設定しているんですが、これを中途半端に45cmとかにするとふつうに1段としてしか使えない。15cm延ばすことによって倍の収納量を確保しています」

テラス側から見る。加藤邸はこの空間のほかに、奥に寝室と浴室、トイレなどがあるのみ。
テラス側から見る。加藤邸はこの空間のほかに、奥に寝室と浴室、トイレなどがあるのみ。

可変性のある家

必要最低限の大きさを決めるほかに、設計時の基本コンセプトはさらに2つあった。ひとつは可変性で、これは基本的に決められないことは決めないでおくという方針ともなった。「建てる前に机上でぜんぶ決めないといけないのは理不尽ではないかと思っていて、むしろ住んでからわかることのほうがたくさんある。キッチンの位置とか決めないといけないことは決めるけれどもそうではないものは住みながら自然にここにほしいと思った時に付け加えたりできるようにしています」

奥行き60cmの棚を使った見せる収納。右のクローゼットには今の季節に着るものだけが収まっている。それ以外の服は奥さんの祖母の家の2階に置かれている。
奥行き60cmの棚を使った見せる収納。右のクローゼットには今の季節に着るものだけが収まっている。それ以外の服は奥さんの祖母の家の2階に置かれている。

そのためにとりあえず間仕切りの壁は必要最低限のものを設けるにとどめているが、さらにまたこれとは別種の可変性も仕込まれている。壁・天井には構造用の合板が張られているが、これが仕上げ材としても優れものなのだ。「石膏ボードとビニールクロスという一般的な組み合わせは住宅には実は向いていないのではないかと思っていいます。石膏ボードはビスがきかないし付けるとボロボロになってしまうので何かを付けたりはずしたりができないんですね。でもこの合板だとそれができるし、さらに穴が開いたり傷が付いても気にならないんです」。つまりこの合板が、生活に伴う変化にも耐えうるものにしているのだ。

構造用のラーチ合板が張られた室内。木目や節がはっきりとしているため、傷などがついても目立たない。また、ある程度室内が散らかっていてもそれがストレスに感じられることはないという。
構造用のラーチ合板が張られた室内。木目や節がはっきりとしているため、傷などがついても目立たない。また、ある程度室内が散らかっていてもそれがストレスに感じられることはないという。

モノの強度と見た目の強度

穴が開いたり傷がついても気にならないのは、木目の模様や節が目立って、この合板が材料としての強度だけでなく見た目の強度も併せ持っているからだが、このあたりが加藤さんが「ダサかっこいい」と表現するもうひとつのコンセプトを可能にしている。

「予算が限られていて水栓ひとつとっても高価なものは使えないので、安価なものであっても空間がかっこよくなるようにベースを整えていく」という加藤さんの考え方は、この構造用合板など素材感や色味のある仕上げを使うことで可能になっているのだ。

キッチンに限らず設備類はすべて安価なものを使っているというが、この空間ではそれがチープな印象を与えずまたトータルな印象も乱すことがない。
キッチンに限らず設備類はすべて安価なものを使っているというが、この空間ではそれがチープな印象を与えずまたトータルな印象も乱すことがない。
加藤さんが以前仕事スペースとして使っていた場所にはソファが置かれている。サイズに合うものを購入したという。
加藤さんが以前仕事スペースとして使っていた場所にはソファが置かれている。サイズに合うものを購入したという。
いちばん上の棚にあるのは模型ではなく、レゴでつくったサヴォワ邸やファーンズワースなど。
いちばん上の棚にあるのは模型ではなく、レゴでつくったサヴォワ邸やファーンズワース邸など。
玄関ドアを開けるとその先に見えるのは奥さんの祖母の家。
玄関ドアを開けるとその先に見えるのは奥さんの祖母の家。
玄関のドアを閉めた状態。
玄関のドアを閉めた状態。
洗濯スペース、左に浴室とトイレがある。
洗濯スペース、左に浴室とトイレがある。
寝室には長男用にロフトベッドを増設。また、寝ながら映画が見られるように天井を白く塗ってスクリーンにした。
寝室には長男用にロフトベッドを増設。また、寝ながら映画が見られるように天井を白く塗ってスクリーンにした。
室内で竹馬をしたりもするが、そうしたことで付いた傷は生活の痕跡としてこの住宅への愛着を生むと考えている。
室内で竹馬をしたりもするが、そうしたことで付いた傷は生活の痕跡としてこの住宅への愛着を生むと考えている。
子どもたちの成長の記録が棚の側板に刻まれているが、この空間では変に浮くこともなく逆にしっくりとおさまって見える。
子どもたちの成長の記録が棚の側板に刻まれているが、この空間では変に浮くこともなく逆にしっくりとおさまって見える。

増築という選択肢

とりあえず仮の住まいとして建築したが、「隣の敷地がまだ空いているのでそこに増築するのもいいね」という話を建てて2年ほど経ってから奥さんとするようになったという。「ローンを組んだつもりで定期を積み立てていって、満期になったタイミングでその金額の範囲内でそのとき決まったこと――子ども部屋をつくるとか仕事部屋をつくるとか――をしていくというのを5年単位くらいで繰り返したら面白いんじゃなか」と考えるようになったのだそうだ。

このアイデアはこれからの時代にフィットしているのではとも考えているという。「終身雇用制が崩れてしまいまた今はコロナ禍もあったりといった状況で借金をして住む場所を固定してしまうことがリスキーだと感じている人はたくさんいると思うんです。増築を続けていくというのは都心だと難しいですが、住宅ローンを組まないでも建てられるひとつの例としてまずやっていこうかなと思っています」

必要最低限の広さとはいえ、人の動きや身体感覚などを計算して空間をつくっているため、家族5人が揃っても窮屈な感じはまったく受けない。
必要最低限の広さとはいえ、人の動きや身体感覚などを計算して空間をつくっているため、家族5人が揃っても窮屈な感じはまったく受けない。
テラスの上にかかるタープは夏の強い日差しを避けるために付けたが、見た目の心地よさにも大いに貢献している。夏にはテラスの上にテントを張ってキャンプをすることも。
テラスの上にかかるタープは夏の強い日差しを避けるために付けたが、見た目の心地よさにも大いに貢献している。夏にはテラスの上にテントを張ってキャンプをすることも。
祖母の家側から見た加藤邸。手前側に増築してもいいかなと考えている。
祖母の家側から見た加藤邸。手前側に増築してもいいかなと考えている。

住みはじめて3年ほど。住み心地はいいが「広いとはまったく思わないですよ。やっぱり狭いです」と加藤さん。でも「窮屈でどうしようもないとはまったく思っていない。期間限定で考えているから何かあれば増築すればいい」と話す。「設計者なのでいつでも図面は描けるので、狭さが今よりも気になったら広げればいいと思っています。フックとかを必要なったら付けるのと同じように、ほしくなったら建てればいいじゃないかという気持ちでいるんです」。この気軽ともいえる構えがこの家を「窮屈」と感じさせないひとつの秘訣にもなっているのだろう。

加藤邸
設計 N.A.O|ナオ
所在地 神奈川県秦野市
構造 木造
規模 地上1階
延床面積 約32㎡