Architecture
鎌倉に移ってつくった終の住処築90年超の家と
調和する家を建てる
実家は築90年超
線路沿いの道から敷地に入ってその先の階段を10段ほど上がると、そこには一瞬言葉を失うほどの風景が現れる。なだらかな傾斜地に見事な具合に草木が配置され、その背後には登録有形文化財「旧坂井家住宅」の和館と洋館が控えているのだ。
和館は昭和2年に建てられたというから築90年以上。かつて別荘地として整備された土地は今もその趣を十分に残している。H邸はその南側に隣接した敷地に立つが、実はこの旧坂井家の家屋と土地は以前は奥さんの実家が所有し相続に際して寄付をしたものだ。
土地と建物を寄付
「父が10年ほど前に倒れて、世話をしながら維持管理をすることになったんですが、これがとにかく大変で、相続しても自分ではとてもできないのではないかと。それで父とも話をして公のところにお願いしようという話になって鎌倉の風致保存会に建物と土地を寄付することになりました」
お父様が亡くなられてお母様の世話をされたときに当時住んでいた土地と行ったり来たりの生活になったが、その頃に家を建ててこの地に暮らすという話が持ち上がったのだという。
夫のHさんはそれまで20年近く住んだ土地に骨を埋めるつもりだった。しかし「幸い土地もあったので建てようかという話が突然出てきたんです。環境もいいし、終の住処をつくって鎌倉で終わるのもいいなということでこちらに移ることになりました」と話す。
終の棲家をつくる
奥さんにはその終の住処は「鎌倉という土地に調和し、かつ前のお家とも調和するような家であってほしい」という思いがあった。「別荘地として立った風情にあまりにもアンマッチなものを建ててはいけないだろうなと。そうしたことを考えたら、色合いも形も決まってくるのかなという感じでしたね」
設計を依頼したのはナフ・アーキテクト&デザインの中佐さん。奥さんの従兄の息子さんである中佐さんは、夏休みなどにこの地を何度か訪れたことがあるという。
終の住処ということからバリアフリーであること、そして、面積は以前の家と同じくらいで100m2くらいというイメージを夫妻は持っていた。依頼を受けた中佐さんは「以前の暮らしぶりをあまり変えることなく自然に継承できるような方向で考えて、間取り的には6畳と8畳の組み合わせでいこうと。それに打ち合わせを重ねる中で要望をうかがいながらまとめたものを提案させていただいた」と話す。
フレキシビリティを仕込む
中佐さんからの提案のひとつは建物にフレキシビリティをもたせることだった。夫妻は「いずれ子どもたちに別荘にしてもらってもいいし、住めるのだったら住んでもらってもいい」という考えだった。そこでお子さんたちの好きなようにできるようにと間取りと面積が変えられるようにした。間取り的には現在部屋を仕切っている壁は取ることができるし、また逆に壁をつくって新たに空間を仕切ることもできるように。そしていま吹き抜けている部分に2階をつくることで面積を増やすこともできるようにしたのだ。
このような仕組みを支えているのは特徴的な形をした構造システムである。柱と梁の間に斜めの材(方杖)を使っているのだが、通常であれば耐力壁を入れて空間を仕切らないといけない箇所にこれをダブルで設置しさらにその間に板を渡すことで耐力壁と同様の働きをしてもらうというものだ。
「天井が高くて生活に対する圧迫感はまったくないし、また、南側もクリアに見えて向こうの空間が共有できているのですごく開放感がある」。このように夫妻は空間的な広がりの気持ちの良さを指摘するが、これも中佐さんからの提案から生まれたもの。「立体的な多様性があったほうがいいだろう」と考えた断面のデザインによって、南側の部屋であっても立てば北側につくったハイサイドから旧坂井家の庭へと視線が気持ちよく抜けていく。
新たな挑戦
新しい家で生活を始めて1年と5カ月。Hさんはこの家が気に入っているし「こうした機会にこのような環境のいいところに住めて非常に幸運」だと思っているという。さらに「鎌倉に恩返しというか、なにかできたらいいなと思ってます」とも。
そのHさんが目下「意欲的に取り組んでいる」というのが鎌倉の歴史。散歩好きでよく出かけるというHさんが、途中で出会った観光客に「鎌倉に点在するお寺の歴史などを紹介するようなことができればはげみにもなるんじゃないかな」と話す。
築90年を超える家とも調和するように考えられながらもどこか清々しさの漂うH邸。そういった雰囲気も、Hさんのこの新たな挑戦を後押ししているのだろう、そんな印象を持った。
設計 中佐昭夫/ナフ・アーキテクト&デザイン
所在地 神奈川県鎌倉市
構造 木造
規模 地上1階
延床面積 102.12m2