Column
PARIS今年の海外旅行、
パリで建築散歩はいかが?
パリは今でも高い人気を誇る都市のひとつ。日本からは毎年60万人近くの人が訪れるという。ガイドブックを片手にショッピングや観光など、楽しみ方もいろいろでかつ見どころも数多いが、建築というテーマだけに絞ってみても、パリという街は、深くて濃い体験を存分に提供してくれる。
パリの建築というと、凱旋門やエッフェル塔、サクレ=クール寺院、パンテオンやマドレーヌ寺院、ルーヴル美術館といった歴史的な建造物が思い浮かぶが、そうした有名どころ以外にも見るべきものは数多く、また、ル・コルビュジエをはじめ、20 世紀以降の建築をとても高いクオリティでまとめて見ることができる世界的でも稀な都市でもある。さらに、建築が、映画やアートや文学など他ジャンルとも結びついて、デザインにととまらず、幅広い体験を提供してくれて、それらを訪れる楽しみをさらに深いものにしてくれる。そうしたパリの建築の一部を紹介しよう。
シュリー館(62, rue Saint-Antoine−4区)
いわゆるガイド本の類いでは大きな扱いをされることはないが、この中庭はパリでも有数の美しさを誇る空間で、ヴォージュ広場の南西コーナー部分から入ることができる。ヴォージュ広場と同様に、建物と幾何学式にデザインされた緑とのコンビネーションがいいが、こちらの方がスケールが小さく壁と建物に囲まれた分、親密さも感じられる空間になっている。建物は1624年に建てられたもので、中庭にはサン=タントワーヌ通りからも入れるが、広場側からの眺めの方がおすすめだ。初めての人は、中庭空間に出た瞬間、その美しさにハッと息をのむに違いない。
ギャルリ・ヴェロ=ドダ(Rue Jean-Jaques Rouseau−1区)
ガラス屋根の付いた商店街、と言えば日本のアーケード街を思い浮かべる人が多いだろうが、19世紀前半に多くが建てられたパリのパサージュは、それとはまったく異なるもの。パサージュ紹介の古典的名文とされる文章にこうある。「いくつもの建物をぬってできている通路であり、ガラス屋根に覆われ、壁には大理石が貼られている。光を天井から受けているこうした通路の両側には、華麗な店がいくつも並んでおり、このようなパサージュは一つの都市、いやそれどころか縮図化された一つの世界とさえなっている」(訳文はベンヤミン『パサージュ論』岩波書店より)。1826年完成のこのパサージュは、ほぼ当時の姿のまま残されている。この空間に入った瞬間、約2世紀前の「世界」にタイムスリップしたかのような不思議な感覚を覚えるだろう。
ラ・ロッシュ=ジャンヌレ邸 (8-10, square du Docteur-Blanche−16区)
モダニズム住宅が多く残る16区の、通りから1本入った私道に面して立つ。20世紀を代表する建築家、ル・コルビュジエの初期の代表作。モダニズム建築に興味のある人は必見の作品だ。建物はL字形になっていて、Lの底辺部分を銀行家のラ・ロッシュ氏のギャルリが占め、住居部分がそれに続く。そこから通り側はル・コルビュジエのいとこで協働設計者でもあったジャンヌレの住居であった。ギャルリ部分は有名なコルビュジエの「建築的プロムナード」の初期の実現例だが、後年のサヴォワ邸などとは異なりプロムナードの核となる斜路がより内向きにつくられているのが特徴。階段室やエントランス上のブリッジからエントランスホールを見ると、まるでバルコニーに立って眺めるかのようだ。
シネマテーク・フランセーズ(51, rue de Bercy−12区)
パリの特徴でありかつ魅力の一つは、伝統的なものとアヴァンギャルドなものとが違和感なく同居・混在するところ。この建築はベルシー公園に隣接した敷地に建てられたもので、彫刻的断片が自由にコラージュされたデザインがもたらすインパクトは強烈だ。設計はアメリカ人建築家のフランク・ゲーリー。ゲーリーにしては珍しく外装に落ち着いた色合いの石を使っているが、これは、パリの街を“リスペクト”しての選択なのだそうだ。
ケ・ブランリ美術館(37, quai Branly−7区)
メトロのアンヴァリッドからエッフェル塔へと向かう途中に、ガラス壁に仕切られた野生の森のような場所がある。そして、ガラス壁の内部に入り森を抜けると、柱に支えられて宙に浮いた巨大な船のような建物が現れる。これがケ・ブランリ美術館で、フランスを代表する建築家、ジャン・ヌーヴェルの作品。この建築もパリの街並のイメージからかけ離れたデザインで驚かせるが、隣接した事務所棟のほうも負けていない。“植物の壁”と名付けられた壁面は、パトリック・ブランによって大胆に緑化されたもので、苔やシダなどが繁茂している。そのインパクトは誰もが足を止めてしまうほど強烈だ。
セルジュ・ゲンズブール邸(5 bis, rue de Verneuil−6区)
エコール・デ・ボザール裏手の通りに立つ落書きだらけの壁の家の元住人は、ゲンズブール。閑静な通りに一面落書きだらけの何ともお騒がせなこの壁、ゲンズブール好きには“らしく”見えるに違いない。性的なダブルミーニングをもたせたゲンズブールの詞はお堅い人たちの顰蹙を買ったが、この壁も、閑静な通りの住人たちには顰蹙ものだろう。もちろんゲンズブールによるものではないが、この落書きにはご本人も天国でニンマリしているに違いない。
ブランクーシ美術館(Place Georges Pompidou−4区)
パリを訪れる楽しみに美術館巡りがあるが、アートだけでなくその建築や空間を楽しめる場所も多い。この美術館は、ポンピドゥ・センターを手がけたレンゾ・ピアノによって設計されたもので、ルーマニア出身の彫刻家コンスタンティン・ブランクーシ(1876−1957)が亡くなるまでの30年間に使用したアトリエが再現されている。制作に使用された道具類も展示されているが、このアトリエ、主眼は彫刻作品の配置の再現にあったという。制作した作品を自ら配置しそこから生まれる統一感、一体性のようなものをブランクーシはつねに求め、売れた作品は石膏でつくり直して代替したという。作品と空間全体で醸す空気感をじっくりと味わいたい。
ブールデル美術館(18, rue Antoine Bourdelle−15区)
こちらも彫刻家の美術館で、アントワーヌ・ブールデル(1861−1929)のアトリエと住居を母体につくられたもの。この美術館の魅力は何と言っても、ダイナミックな緊張感を孕んだ代表作「弓をひくヘラクレス」が「レアリスムがイデアリスムの域にまで達している」とも評された彼の作品が、中庭も含めいたるところに置かれ、その作品世界にどっぷりと浸かれるところ。展示スペースだけでなく、アトリエや中庭空間も時間をかけてじっくりと味わいたい。
パレ・ロワイヤル(Palais Royal−1区)
アート好きの人ならこちらもぜひ訪れたい場所。ルーヴル美術館の北側にあるサン=トノレ通りに面したパレ・ロワイヤルの中庭だ。白と黒のストライプの入った円柱はダニエル・ビュランによる《Les Deux Plateaux》という作品で、高さの異なる二百数十本の円柱によるアート空間は子どもたちの絶好の遊び場になっている。前衛劇の舞台のような場所で子どもたちが駆け回り、またパリジャンたちが横切るのを見ているだけでも楽しませてくれる。さらに、その先に進んで庭園の鬱蒼とした木々の緑の列の間を散策すれば、ルーヴルでの鑑賞疲れもどこかに吹き飛んでしまうだろう。
ドフィーヌ広場(Place Dauphine−1区)
バルザックやゾラをはじめ、パリには有名小説に登場した場所も数多く残されている。シテ島西側に位置する三角形のこの広場は、17世紀にアンリ4世の構想をもとにつくられたもので、同じ王の命でつくられたヴォージュ広場の建物群と同じく赤レンガが使われた建物が今も残る。この広場については、シュールレアリスムの“法王”アンドレ・ブルトンが小説『ナジャ』(1928)で「もっとも深くひきこもった場所のひとつ」と記している。彼は写真の左のほうに見える店(1階が茶色のところ)の張り出しでナジャと食事をしている。逆に右の方へ歩くと同じく『ナジャ』に登場するアンリ4世ホテルが現在も営業中だ。小説では、ナジャが広場に面した家の窓のひとつを指して、1分後に明かりがついて赤くなると予言。実際にその通りになりブルトンは恐怖にとらわれる。
サン=テチエンヌ=デュ=モン教会(1, place Saint-Genevieve−5区)
パリの街は映画に数多い名シーンを提供しているが、この場所は2011年のウディ・アレンの映画『ミッドナイト・イン・パリ』で登場する。主人公の男がこの階段で休んでいると、深夜0時にプジョーのオールドカーが現れ、誘われるがまま乗ると、なんと1920年代にタイムスリップしてしまうのだ。そして、パーティ会場でフィッツジェラルド夫妻に出会い、バーでは若きヘミングウェイと語り合う。そのほか、ピカソやダリも登場。主人公がルイス・ブニュエルに映画『皆殺しの天使』のヒントを与えるなど爆笑場面も多いこの映画、ちょっとしたパリ案内としても楽しめる。
北ホテル(102, quai de Jemmapes−10区)
このホテルは、セーヌから発したサン・マルタン運河が北上してラ・ヴィレット貯水溝へと向けて右に折れる付近にある。有名なマルセル・カルネの『北ホテル』はこのホテルをモデルにつくられた1938年の映画だ。1930年代の、ペシミスティックで暗鬱な物語・画面を特徴とする詩的レアリスムと称された映画のひとつで、北ホテルにかかわる何組かの男女が織りなす人間模様が描かれている。映画中の北ホテルとその周辺は、美術監督のアレクサンドル・トローネルのデザインによるもので、実際はブローニュのビランクール撮影所近くの敷地につくられたオープンセットであったという。1階のレストランは夜の人気スポットになっている。
ルイ・ヴィトンとサン=ジェルマン=デ=プレ教会(Louis Vuitton:170, boulevard Saint-Germain−6区)
ルイ・ヴィトンの店舗が、有名なカフェ、ドゥ・マゴが1階に入る建物に店を構えている。お菓子の包みをイメージしたウィンドウディスプレイがしゃれている。この向かいには、サン=ジェルマン=デ=プレ教会がある。この界隈でひときわ重厚な存在感を放つこの教会は、ヴァイキングの襲来によって四たび破壊された後、11世紀初頭に現在も残る建物を建立。その後増築が行われ1163年に完成した。大戦後にパリの文化発信地として世界にその名を知られ、近頃はファッション街としても人気の高いこの地区を、その由緒ある宗教的な磁力によって庇護するかのように立っている。
ラ・ユンヌ(18, rue de l’Abbaye−6区)
最後に書店を紹介しよう。小規模ながら、店に目利きの人がいて品揃えがいい。以前は、フロールの隣だったが、今は少し移動してサン=ジェルマン=デ=プレ教会の近くに店を構える。歩くとカンカンと金属音を立てた以前のメタルの階段はシックで優美な階段に変わった。1階が文学関係、2階がヴィジュアル関係で、美術、デザイン、ファッション、建築、映画関係の本を揃える。探している本があったら気軽に店の人に聞いてみよう。気持ちのいい対応をしてくれる。
『パリ建築散歩』(大和書房刊)では、ここで紹介した建築を含む130数カ所が300点超の写真で紹介されて、建築をテーマにパリの街を歩くには大いに参考になる。映画やアート、文学に関連した場所を多く取り上げているのも特徴だ。