Architecture
東京という森に浮かぶひとつの船陰影と質感にこだわって
つくり上げた“静かな家”
一際目を引く寡黙な外観
竣工後1年に満たないM邸にお邪魔した。場所は、東急東横線の駅から歩いて10分ちょっと。近くには幹線道路が走るが、周囲にはそのような立地を感じさせない閑静で落ち着いた佇まいの家並みが続く。
M邸のグレーの外壁はモルタル色粉入りしごき材仕上げ。手前の開口のない壁の左右に、それとはそれぞれ高さの異なる壁が少し奥まって立っている。この寡黙でフラットな壁面に対して、道路際に立つ表札のかかげられた塀は、薄くスライスされた石材を重ねた、質感へのこだわりを感じさせるデザインが対照的だ。
陰影のある家
玄関を入って1階の中庭のあたりにまで進むと、心地良い静けさと質感がすぐさま肌にまで浸透してくるかのよう。さきほどの外壁や塀の仕上げは、この心地良さを予告していたようにも感じられる。
しっとりと落ち着いたその空気感は、階により濃淡をもちながらこの家の大きな特徴になっている。
この空気感をつくり出すのに大きく寄与しているのが、室内のそこここにつくりだされている陰影である。
Mさんは、明るすぎる家は嫌だったと話す。
「開放的で明るい家は、僕も妻も好みではなかったので、建築家の浅利さんには、できるだけ陰影のあるような家が希望です、とお伝えしました」
森の中に浮かぶ船
この陰影からもたらされる静けさは、車がひっきりなしに行き来する幹線道路が間近にあることを忘れさせてしまうほど。この静けさは、Mさんが浅利さんに伝えた“森の中の船”のイメージとも通じているように感じられる。
「舟をつくってください、と言ったんですね。東京で生きていくにはさまざまなハードルがあるので、帰って来てホッとできる場所が必要です。僕の中では、森のような東京の只中にポコっとあるのが家という感じがあって、そのような小さい家が、肩を寄せ合って建っている。その一戸一戸が舟のような気がしていたんですね」
本質を伝える
M邸の魅力であるしっとりと落ち着いた空気感は、陰影とともにモルタル、石、木、土壁などの質感によるところも大きいが、Mさんは浅利さんに素材について具体的なリクエストをすることはなかったという。
「もともと浅利さんとは感覚的な部分がとても合うので、設計をお願いすることにしたのです。僕は抽象的な話ばかりしていましたね。床をモルタルにして下さいといった具体的なことは一度も言ったことがないのですが、すべてこちらの望むものが出てくるという感じでした」
一方、建築家の浅利さんは、光のコントラストなど家づくりにおいての本質的な部分をMさんが話されるので、案を出すまでが通常よりもスムーズだったという。
「Mさんは本質的なことを言われるので、素材だけでなく、素材がつくり出すシーンや雰囲気、空気感などまで話をすることができました」と浅利さん。
中庭がつくり出した“居場所”
素材やディテールなど、Mさんがうまく言語化して伝えられないものまで浅利さんが良くくみ取って具体化してくれたが、中庭に関しては今の位置に決まるまで紆余曲折があったという。
「今回は、いわゆるヴォイドをどこにつくるかということで悩みました。最後に今のプランにおさまったわけですが、結果として、いろいろな居場所が家の中にできました」
中庭=ヴォイドをつくることによって、夫婦と子供の家族4人それぞれのための居場所ができたという。また、中庭はもちろん家の中に緑を織り込むのにも大きく貢献している。
「この辺りは、借景できる場所が周りには無いので、家の敷地の範囲内で緑をつくっていかなくてはいけないと考えました。中庭をつくったことにより、どこにいてもつねに緑と接することができるようになったのは、とても大きかったと思いますね」
1年間、家づくりでは浅利さんとコミュニケーションをとりながら、どのような感じになるのかシミュレーションを重ねてきたMさん。実際に住んでみて、はじめからまったく違和感が無かったという。その違和感のなさを「完璧」とも表現したMさんは、東京という森の中に浮かぶこの静かな船に、とても満足しているようだった。
設計監理 LOVE ARCHITECTURE INC. / 浅利幸男
所在地 東京都目黒区
構造 木造、一部RC造
規模 地上2階地下1階
延床面積 158.3m2